埋め戻し4日目 最終日(9月24日)

9月24日金曜日。復元工事最終日です。

第三次調査実行委員会(現千々石ミゲル研究・顕彰会)の皆さま、諫早市文化振興課の川瀬課長と野沢氏、大村藩主家末裔のお一人吉川ご夫妻など数多くの方々にお出でいただきました。
午前中一杯をかけて慎重に墓石を再建立。緊張の連続です。山川内コミュニティーセンターでの最後の昼食を終えて、午後から基壇内の整備と墓所全体の整地。午後四時前に銅板葺きの屋根も戻して完了しました。

① これは復元作業完了時の写真です。後列にいらっしゃるのは2014年の第一次調査前からご支援を続けていただいてきた皆さま。特に2017年の第三次調査では、実行委員会を組織いただき、大変な成果を上げていただき、今回の第四次調査につなげていただいた方々が並んでいらっしゃいます。お一人ずつの方との想い出が次々と浮かび、語り尽くせません。この何倍もの方々のお顔が思い出されます。二列目は長崎県石材加工組合連合会青年部の皆さま。復元作業ながら、見た目の美しさも配慮した石組は、さすがプロの技です。手前の右端は青年部部長の松尾様。あとはプロジェクトメンバーの皆さまです。

② 道路から墓所に続く坂道に貼り出した日報です。皆さまのご支援で実現した発掘調査。訪れていただいた方々一人一人に詳しくご説明したかったのですが、なかなかそういうわけにはいかないので、今日までの発掘調査の日々を日報でご覧いただけるようにしました。これは2017年の第三次調査からの習慣です。深夜あるいは早朝にメール送信すると、オリエントアイエヌジーの生田さんがプリントアウトしてラミネート加工して、朝に間に合うように持ってきていただいていました。感謝です。全部で30枚を超えました。

③ 毎朝恒例の朝礼と体操も最終日。

④ 朝礼終了後、墓石建立作業に関して、副代表の町田義博さんからの指示をいただいている所です。町田さんは昭和30年代から千々石ミゲルを「千々石三賢人の一人、至純の人」とした千々石町の町長から雲仙副市長をお勤めになった方で、2014年の第一次調査から、実質的に現場監督をお勤めいただいています。何か難しい問題が起きたら、みなさん先ずは町田さんの方を見ます。
今回も、墓石建立という重要な作業を前に、町田さんから詳細にわたる指示がなされ、青年部の皆さまがご対応いただくところです。オリエントアイエヌジーさんに委託した発掘作業ですが、折にふれてボランティアの皆さまによってしか成しえなかった場面がそこに見られました。まさに総力戦です。

⑤ 墓石を建てると、せっかく昨日組み上げた石積基壇が押されて歪む恐れがあるということから、町田さんのご指示で周囲に土のうを積んで防止策を行います。

⑥ 墓石をカニクレーンでつり上げ、石積基壇内に。これからが神経を使う所です。

⑦ 基本的には測量データで位置を特定してあるのでしょうが、最終的には目視で調整。東西南北の四方向から位置と傾きを見ていきます。私もこの写真を撮った後は正面に行って、確認しました。ただ最終的には養生の毛布をとってからの調整が残ります。

⑧ 一度設置してからの作業。玉掛け(墓石にかけているベルト)をかけ直して、若干右側に傾けている所です。養生毛布を取り外したので「妙法」という文字が見えると思います。この文字、さらにはその下の戒名の文字の曲がりを修正して、微妙な角度を調整しています。

⑨ 墓石の周囲に細かい石から始まって、やや大きな石、最後はやっと一人で持ち上がるような大きな石を配置して、墓石を安定させます。さらに基壇内部に石を敷き詰め、真砂土を詰めて安定させます。全て長崎県石材加工組合連合会青年部の皆さまによるプロの技です。

⑩ 多くの方々が終日、発掘作業の最終を見届けていただきました。

⑪ 一カ月半ぶりに建立された墓石です。手前の石がいいですね。最終的には玉砂利を敷きますが、このような真砂土の上に納められた墓石もきれいです。井手さんが平成9年に建立いただいた銅板葺きの屋根もかけました。

⑫ プレゼントされて、発掘調査中に愛用させていただいたヘルメットも使い納めです。「代表」という肩書は報告書の完成まで持っていることになると思いますが、今日で一つ、肩の荷が下りた気分です。