第四次調査8日目(8月31日)

発掘調査八日目。8月31日の発掘調査状況です。遂に八月が終わりました。昼間の暑さは未だ収まりませんが、秋の兆しは夕刻の涼しい風やトンボなどで感じさせます。

さて、先週末から続いて掘り下げた遺構東北側の土層からは、再び礫層が出てきました。2017年の第三次調査の時と同じようです。
ここで、水糸を十字に設定し、その四隅を掘り下げることにしました。慎重に掘り下げていくと、東側の南北セクションに地山(自然のままの地面)が見いだされ、続いて西側の南北セクションも掘り下げると、同様の兆しが見られ、第二次墓壙の広さがほぼ見えてきました。
東西2.2メートル、南北1.4メートルのサイズとのことです。第三次調査時の墓壙サイズ東西1.7メートル、南北1.2メートルと比べて、一回り大きい印象です。ここからさらに慎重な発掘作業が続きます。

※日々の投稿については浅田個人の感想が含まれる場合がございます。プロジェクトの公式見解ではないことをご了承ください。

① 朝のラジオ体操。現場の安全管理のためには必須です。かなり幅広い発掘作業となりましたので、歩ける場所はかなり狭く傾斜している所が多いのです。

② 東側から撮影|朝の発掘現場の状況。集石遺構が撤去され、土層が姿を現わしています。昨日は水糸を南北に張り、写真下側を掘り下げてきました。

③ 掘削で出土した土を漉して、遺物の有無を確認する作業が続きます。地味ですが大切な作業です。

④ 東側から撮影|写真下側の掘り下げで、再び礫層が顔を出してきたので、次に十字に水糸を張って、どて(ベルト)を残す形で掘り下げていくことにします。

⑤ 北側から撮影|発掘現場が狭いので、入れる人数は限られ、スピードは鈍化しますが、ここからが大切な作業となりますので慎重に掘り進めます。

⑥ 東側から撮影|再び礫層が大きく姿を現わしています。私見ですが、2017年の第三次調査での埋葬施設上部の発掘状況を彷彿とさせるような風景です。ただ、前回と比べると、石の並べ方が異なるようだとのコメントもありました。

⑦ 東側から撮影|写真左右の両方に地山の壁が見えてきました。写真右上の壁もほぼ地山であるとの鑑定です。

⑧ 東側から撮影|写真上側の箇所の掘り下げも進みます。狭いので作業はやりにくいようです。

⑨ 南側から撮影|礫のばらつきがちょっと気になりますが、ほぼ土層の下の礫層が姿を現わしました。

⑩ 南側から撮影|田中裕介教授が示しているのは発掘作業を行っている墓壙の西側、裏山からの傾斜の境目の所です。建立当時の墓石の位置確認も、今回の調査の重要なポイントで、それの探索のための掘削状況を見ている所です。