第四次調査10日目(9月2日)

遂に発掘調査が10日目を迎えました。あっという間です。

安全管理の基本となる毎朝の体操後、前日作成の測量図面確認。確認終了後は、石に1個づつ番号を振って撤去しました。出現した土層に再びセクションベルトを設定して、各々を掘り下げます。雨の予報なので発掘現場にはテントを張ったままです。掘り出した土砂中の遺物検出作業場にもブルーシートで屋根を掛けました。

午前中は晴れ間も見える天気で順調に作業は進みます。ところが14時過ぎに突然の土砂降り。テントだけでは周囲から豪雨が流れ込むため、全体にブルーシートを重ねて、雨水の流入を防ぎます。ほどなく止んだので、ブルーシートをまくり上げて発掘作業再開。しかし15時半ごろに再度豪雨が。急いでブルーシートを被せましたが、スマホで天気予報を見ると止む気配がないので、16時過ぎに発掘調査を終了しました。

① 恒例の体操です。遠くには大村湾を挟んで旧大村藩玖島城跡(現大村市)が見渡せます。

② 前日(9月1日)の作業終了のままの状態。これから図面確認を行って、この日の作業開始です。正面の壁や右側の赤い地色が地山を示しています。

③ 前日(9月1日)までは作業開始後はテントを写真右側の土砂を網で漉して遺物を確認する作業の場所に移動していたのですが、昨日以降は雨天の予報なので、テントは発掘現場の上にかけたまま。こちらにはブルーシートでターフのように張りました。

④ 東側から撮影|まずは石を撤去する作業。ひとつずつ丁寧に位置と高さを確認しながら行っています。

⑤ 東側から撮影|石の撤去作業の終盤です。右で図面への落とし込みも行っています。

⑥ 東側から撮影|石を全部撤去した姿。土の層が姿を現わしました。大変柔らかく、埋め戻したことがよくわかる土質です。

⑦ 南側から撮影|ふたたびセクションベルトを設定して掘り下げていきます。段々と作業する場所が狭くなっていくので、同時に作業できるは2~3人ぐらいになってしまいます。第三次調査では、私もこの段階で作業をやらせてもらったのですが、四年を経た今では、とても出来るものではないと、つくづく思いました。これはあくまでも個人的見解です。

⑧ 突然の豪雨。付近にはさほど高い山はありませんが、山々が連なった地形なので、いわゆる山の天気のような感覚ですね。みんなで土のうを並べて発掘現場への雨水流入を防ぎ、ブルーシートをテントの上にかける作業を行ったので、写真はこれだけですが、それでも雨の凄さは感じていただけると思います。

⑨ 雨は30分ほどで止んだので、作業再開。足元はたっぷりと水を含んだ土なので滑りやすいです。ドンゴロスという麻袋を敷き詰めて、事故防止の安全管理を行います。

⑩ 再度の豪雨で発掘作業は中止。ブルーシートをかけているので、現場は薄暗く、雨音は激しく、これ以上の継続は難しくなりました。

⑪ 少し小降りとなって、ブルーシートをしっかりとかけ直しました。雨がブルーシートの上に溜まらないように、上手く傾斜をつけて発掘現場より下方に流れるように張ります。

⑫ これは豪雨に見舞われる前、昼食休憩時間に墓所の向かいの山に登って、発掘現場を見た姿です。白いテントの部分が発掘作業場所、その左側に墓石の上にかけてあった屋根の仮置きが見えます。右側のブルーシートの所が掘り出した土砂を篩いにかけて遺物の有無を確認している作業場です。白いテントの後方に見えるベニヤ板は、山肌からの土砂や石の崩落を防ぐための防御柵で、安全管理の一環で設置しています。右に見えるのがJR長崎本線。明治30年代に土手を築き上げて敷設したそうです。架線が無いのがお判りでしょうか。この区間はディーゼルエンジンで走る単線です。昼間はほぼ一時間に1本。